K.Wings 歴代スタッフより


「夢」  三田和義
 「もう五年も経ってしまった」というのが現在の正直な感想です。五年前の秋の日、それは、そのへんにゴロゴロしているおじさんが突然、年にふさわしない派手なジャージに身を包んでサッカーボールを蹴った変身記念日でもありました。今でも、その時の鮮度は落ちましたが同じ状態でいます。
 当時の事を振り返ると、私の担当はコーチ会議で女子をやってほしいという事でした、私も一瞬はためらいましたが、引き受けました。サッカーを知らなくても女子なら何とかなるだろうという気持ちが、実は大間違いで、マニュアルを何冊も買って練習プランを練る日々でした。でもその事がとても新鮮で充実していました。その頃の夢は、「県大会で1勝する」それを達成すると「ベスト8」その次「優勝」という風に膨らんできましたが、まだ最後の部分は未達成です。そして少女から一般に担当が変更になってから今の夢は、「一部リーグ昇格」です。

 夢の実現には技術も大事ですが、一人一人の気持ちが一つにならないと達成出来ないと思っております。この部分を大切に活動をしてゆきたいです。

 一期生の息子も身長がその当時から30cm以上伸びてとても大きく成長しました。今でもサッカーが好きで毎日続けてます。
 ウィングスも大きくなりました、いつまでもサッカー大好き人間の集団でいてほしいです。最後に自分自身ここまで頑張れたのも多くの父母のご協力があったからこそだと思います、この場をお借りして深く感謝とともにお礼を申し上げます。

 これからも夢に向かって頑張るぞ!。ウィングス、オメデトウ!!


岩崎 英二
 川崎ウイングス発足5周年おめでとうございます。
発足当時グランドを探してのジプシー生活がつい最近の様に思われます。

 今は練習場所1つを取っても恵まれています。しかしこの練習場所が簡単に確保された訳ではありません。年度、年度の役員の方々が地道に校庭開放会議に参入出来る様に努力を続けてきた成果の表れだと思います。
 私も新作小の解放会議に2年続けて出席しました。グランドの割当ての実権を握っていたのは少年野球です。サッカーは毛嫌いされていましたが、新作小の父母の方々の努力で月一回確保する事が出来るようになりました。
 翌年の開放会議で月2回を要望したところ却下されてしまいました。私達も引下らず、腹を割って話合いました。野球もサッカーも子供達がやるのです。子供中心に考えて欲しいと訴えました。
 その後、野球部の方々もウィングスに対して好意的になり、現在の様に月4回使用可能となったわけです。
 その他の学校についても校庭を確保するのに大変な努力があったはずです。歴代の役員の方々に感謝し、10周年目には、さらに素晴らしいチームになる様願っています。

 私も微力ではありますがウイングスの為に、そして川崎市少年委員会の一員としてお手伝いさせていただきますので今後ともよろしくお願い致します。



松島 恵介
 川崎ウイングス創部5周年おめでとうございます。
1992年11月15日に川崎市民プラザで開催された、川崎ウィングスの説明会に出席して以来、我が子のため、チームのために捧げた5年間の想いでの一部分を回想してみました。

・最初の頃は練習のやり方が分からず、宇奈根のグランドで途方に暮れたこと。
・低学年の副監督や高学年のへッドコーチを経験させていただいたこと。
・一学上の学年の部員が少ないため、応援の形で全ての公式戦を2回経験し、松村杯では3学年まとめて2チームを作り試合を行ったこともあり、これが一番きつかった。
・3年生のTEPCO大会でべスト5まで勝ち残ったこと。
・5年生の246カップでべスト4入りし、試合の模様がTV神奈川で放送されたこと。
・6年生の清水遠征では、サッカーに対する町ぐるみの協カ関係に関心したこと。そして、清水のテームを相手に試合をし、しっかりと勝って帰れたこと。

 その他にも、数えられないくらいの想いでを残してくれた川崎ウィングスにとても感謝しています。



初代会計担当  吉原 正明
 川崎ウイングス結成5周年おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
 発足当時グランドを探してのジプシー生活がつい最近の様に思われます。今は練習場所1つを取っても恵まれています。しかしこの練習場所が簡単に確保された訳ではありません。年度、年度の役員の方々が地道に校庭開放会議に参入出来る様に努力を続けてきた成果の表れだと思います。

 発足当時は、僅か10数名程度の部員でスタートしたのですが、その中に親子共々身を投じることが正直言って不安でもありましたが、「子供達と本当に楽しいサッカーが出来たら」という気持ちだけでこのチームに参加しました。当時は、グランドも十分になく、根なし草の様に、日々練習場所を探して子供達とポールを楽しく追っかけてきました。

 初代会計のコメントとはかけ離れてしまいましたが、「子供達と楽しいサッカーを!」の、チームカラーが大変好きです。今までの思い出を大切に、明日のウインクスを心から応援したいと思います。



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平成6年度・7年度育成会会長 寺島 民雄
 川崎ウィングス5周年記念を、心よりお祝い申し上げます。
 「ウィングスの歴史」をとの原稿依頼ですが、気がついたら、「えっ、もう5年もたつの」、という感じです。月日が過ぎるのは早いなぁーとつくづく思います。大した事は書けませんが、5年間の感想を書かせて頂きます。

 発足当時は練習場所も少なく多摩川の河川敷を、ジプシーの様に点々としていました。その内、各学校の施設開放団体に登録しましたが、なかなか受け入れてもらえずに月に一回位しか使わせてもらえず、北見方、長沢、東高根と一般開放を公園事務所で抽選にて練習場所を、育成会の役員の方々が苦労して確保して頂いたのが、つい最近の様に回想されて来ます。

 又育成会に於いては94年、95年と会長を務めさせて頂き、その間にQ&Aを作成したり、チームの組織力、結束力、運営力を10年位かかると思う事を、わずか5年間と言う短い期間で出来た事は、素晴らしいと同時に、誇りに思います。

 前にも何かの折りに書いたと思いますが、ペースダウンをして、発足時に戻ってチームのスローガンの「すべての力をチームのために」をモットーに発展して頂く事を祈り、お手伝い出来る事があれば協力をさせて頂きたいと思い、私の挨拶にかえさせて頂きます。



初代育成会副会長  松島 弘美
 川崎ウィングス創部5周年おめでとうございます。

 チーム発足当時は、部員20名ほどでしたが、一年間の間に100名近い大所帯となりました。毎週のように入部希望者の子供達、父母の方々が見学にみえて説明etcでうれしい悲鳴をあげていたのがつい先日のようです。

 発足が11月でしたので、小学校のグランドを借りることができず、練習場所には大変苦労しました。北見方、東高根のグランドがとれれば”ホッ”っと安心、とれない時は宇奈根の方までみんなで車をつらねて行きました。その頃は当番もなく、来られるお母さんがお茶を持って、やれ豚汁だ、カレーだと大鍋を作ってみんなで食べてなんとか寒い冬をこすことができました。
 春になって小学校のグランドがずいぶん使用できるようになり、本格的に練習、チーム作りができ、今現在に至っております。

 あと半年で発足時の時、一年生で入部した息子も卒業です。チームの皆さん、一丸となってこれからも頑張ってください。

 川崎ウィングスが今後益々ご活躍されることを心よりお祈り申し上げます。



「クラブを振り返って」
平成7年度育成会副会長・8年度育成会会長 萩原 由美子
 川崎ウィングスフットボールクラブ創立5周年おめでとうございます。

 あっというまの5年でした。友人に誘われてサッカーのルールも良く分からず入部し、いきなり宮崎台地区長を引き受けてしまう等、怖いもの知らずと言う所からのスタート・・翌年 副会長そして、会長とまで登り切ってしまいました。
 当初の頃は何が一番大変だったか・・やっぱり練習場所の確保でしょうね。ホームグランドが無いため多摩川河川敷、宇奈根グランド、西長沢グランド等石や雑草がいっぱいの所へ車での移動、そして駐車場の問題等、本当に辛いものがありました。
 そのぶん、楽しかった事も沢山ありました。青少年の家で餅つき、花見、鍋会、北見方でカレーを作って食べたり、そう言えば・・・運動会の中で、思い出深い事があります。コーチの方々やお母さん達の仮装がありました。看護婦さんになったコーチ、サンタクロース、三つ編みしてスカートはいたコーチ・・・親子サッカーもよくやりました。
 辛かった事も楽しかった事もぎっしりつまった5年です。クラブ員全員が、楽しい思い出をたくさん抱えて卒業していけます様に、10周年、15周年・・・と、これからも川崎ウイングスを応援します。





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